今日は夜勤明け。おそらく最後のカットになるだろうから、12年お世話になった
美容師にお別れの言葉を残しに行ってきた。←奴は気がつくだろうか?^^
そして帰路で夕日を眺めながらブログを書く。笑!
いつも行っていたバイクツーリングは、誰もいない大自然の中で、その大自然の大きさと力に愕然とし、己の小ささや無力に気づき、日頃のストレスや悩みの小ささに気がつくことが目的。心を無にして、リセットすることが目的。
だから映画「めがね」の中で、「黄昏れる」と言う変わった使い方の言葉にすごく共感できるところがあった。
市川実日子が言った「黄昏れ名人になんなきゃね!」みたいなセリフが印象的で、人生の一瞬に立ち止まり、たそがれたい。何をするでもなく、どこへ行くでもない...
人生に迷い、翻弄された人が、心癒されてくストーリーだったと記憶しているが、改めて黄昏れを調べると
黄昏(たそがれ、たそかれ、コウコン)は、一日のうち日没直後、雲のない西の空に夕焼けの名残りの「赤さ」が残る時間帯である。
語源は
「たそがれ」は、江戸時代になるまでは「たそかれ」といい、「たそかれどき」の略である。夕暮れの人の顔の識別がつかない暗さになると誰かれとなく、「そこにいるのは誰ですか」「誰そ彼(誰ですかあなたは)」とたずねる頃合いという意味である。この風習は広く日本で行われた。
となっている。
動詞で使ったのはこの映画独特なもので、それはそれで好きな言葉使いだったのだけれども
もう一つの意味
「最盛期は過ぎたが、多少は余力があり、滅亡するにはまだ早い状態」を表す。
これを見て
せっかく良い雰囲気で、門司港レトロの夕陽で黄昏れていたのに
台無しじゃないか!!笑!!