boulangerieの暇つぶし

元パン屋で都内タクドラの雑記。パン、料理(自炊)、音楽、映画、インテリア、酒、車、旅行...元嫁と質素な楽しい暮らし。

ケーキ

イブの日が暇過ぎて初めてスポンジ生地でも焼いてみよう!となった。

シフォンケーキやクッキー、ミルフィーユ等の製造はパン屋で経験があるが、やはり基本的な事が欠けている私...

 

作る前に少し予習を。

 

スポンンジ生地

         

   大きく分けて2種類

 

   1、卵、小麦粉、砂糖で作るビス    キュイ生地

 

   2、↑に溶かしバターを加えるジェノワーズ生地

 

ふむふむ...

 

製法

  

   こちらも2パターン

 

   1、全卵を泡立てる共立法

 

   2、卵黄、卵白を分けて泡立てる別立法   

 

ふむふむ...

 

デコレーションケーキのような土台は主に共立法でジェノワーズ生地

型に入れずに絞り出して焼き上げる場合は別立法でビスキュイ生地か...

 

なるほどね。若かりし頃少しだけいたパティシエの工房で、やたらと耳にした初めて聞くワードであった「ジェノワーズ」。

 

かれこれ30年近く前のことだからもう時効だろうと当時の事を振り返って見た。

 

前にも濁して書いたパン屋になるきっかけとなったのは、ドレッシングで有名になった※ピエトロに入社したから。当時の福岡ドームのすぐ近くに出来たハイアット系の複合施設にピエトロが入ることになり、同社はそこでパン部門を初めて設立した。

※ピエトロは1980年に福岡の小さなパスタレストランから始まった。

こっちあんのかな?

 

当時の私はまだ調理師志望。本格的な料理を習う前にチェーン店も経験しておこう!と言う事で応募。面接に行くと「あなたはホール向きだね」なんて、は?となる事を言われダメなんかな?と思っていた矢先に、実はパン部門に人が集まらなくてね、と話を切り出される。話が進むうちに向こうは既に入社前提であることに気づき、若い私は若干の戸惑いもあったのだが、落ち着いたら調理部門に戻って良いからと言う条件を頂いたのでその場で入社を決意した。

 

それから日本製粉の技術部門に籠って約1ヶ月、製パンの基礎をゼロから学ぶ事になる。

 

研修を終え舞台はまだ建設中のハイアットへ。パン工房の工事が一番遅れていて、完成までの数週間パティシエチームのサポートに回される。そこは当時のピエトロのケーキ部門。九州全店舗分のケーキは全てここで製造されていた。ベテラン男性ツートップの下には女性スタッフが20数名ほど。ほぼ女性の職場ってなんかエグいなとにかく元気の良い明るいスタッフ達。まるで合宿でもしているかのような雰囲気の中ひたすら謙虚に頑張った。

 

そんなケーキ部門を統率していたのはピエトロ設立当時から携わっていた3人の役員のうちの一人であった創業者のNさん。他の二人は当然経営や運営が主な業務であるがNさんだけは経営の傍ら現場主義を貫いた。

 

いつも誰よりも早く出社していて、全ての部門の最後の一人が帰るまで現場に残っていたNさん。調理部門、ケーキ部門、パン部門とハイアットだけでも数百人のスタッフがいたのだけども全ての部門のサポートをしていたなー。その多忙ぶりを見て思わず、いつ寝て、いつ休んでいるんですか?と聞いた事があったが、いつも笑顔で独りもんだからね〜と言っていた。

 

 

当時はまだ体力だけは自信があったのに、ピエトロに入ってからボロボロになって自信を無くす事もしばしば。

後で思えば、パン部門のトップは熊本の中規模工場でトップだった人、ピエトロはその強靭なNさん、日本製粉技術者のトップ、後から来た福岡の超有名パン職人...

ひよっこなのに鉄人達に囲まれていたんだよね。当然そんな人達に若い私のどこの何をとっても敵うはずもなく、そんな事思いもしないでガムシャラに空回りを続けていた気がする。←ガキンチョだ。

 

そんな事を思い出しながら初めて作ったケーキは

 

 

 

 

 

失敗したんだけどね。

 

成功例 ↓ 参考にした動画

 

 失敗作

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奮発して脂肪分47%の生クリームを買ったのは良いんだけども高いから一個で何とかしようと思っていたら側面やデコレーション分が足りず...

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アップにしないと耐えられないんすよ。

アップにしてもどうかと思うけど。

 

次頑張ります。