boulangerieの暇つぶし

元パン屋で都内タクドラの雑記。パン、料理(自炊)、音楽、映画、インテリア、酒、車、旅行...元嫁と質素な楽しい暮らし。

ある食パンとの出会い

今日はパンの日という事でパンネタを。

(1月12日に書いています)

 

まだ20代の頃、レストランからパン屋へ骨を埋める覚悟をして当時一番技術が身につくパン屋を!と言って、師匠にあるお店を教えて貰った。そこは偶然にも自宅の(実家)近くで、いつも通っていた所。そう言えばなんか大きな建物が出来ていつも行列が出来てたなー。興味がなかった頃はそんな感じで認識していた。教えてもらったその場所は、個人店でありながら郊外型で敷地面積も広く、石窯やレストランを備えるタイプの元祖的なお店で、元々地元では有名だったのだが大規模店舗を建てる際に法人化した。ちょうどその頃(約20年前)のパンブームに乗り、売上も連日数百万を超えていたので人員補充となった訳です。

 

応募する前に元嫁と噂の食パンを買いに行った。今では当たり前のフレーズ「耳まで柔らかい」事がウリの食パン。買ってすぐ、そのまま食べて2人とも驚く。生で食べても、パンの耳までなんの抵抗もなく食べられる!そして、少し甘めの濃厚な味と爽やかな後味。目がギッシリと詰まっているのに、口の中で簡単に溶けて何枚でも食べたくなる。この食パンに出会って、このお店!と決めた。当時の福岡はフランスパンなんてまだまだマイナーだった頃。しかしそのお店は、石窯を設置した事もあってもっちりソフトな食感となり、フランスパンも飛ぶように売れていた。

 

この食パンとフランスパンを極めよう!

こうして入社。

 

当時3店舗あったお店のうち1店舗は食パン専用の工房。作るのは食パンのみ。毎日、毎日数百本、朝から晩まで食パンだけを作る。この会社に入ってしばらくすると、この地獄の食パンラインに回された。周囲にとっては地獄でも食パンを極めたい私にとっては天国だった。一回の仕込みで16本。発酵を取る&限られた設備のおかげで1時間に2回の仕込みが限界。これを1日20回前後繰り返す。これで1日が終わる。全ての食パンの焼き上がり状態を、自分の言葉と絵で毎日詳細に記録に残した。仕事が終わると社長宅にある研究室にてパンのお勉強もした。その時に、本日の1番出来の良い食パンを持って行き社長の評価をもらう。

 

最高得点は95点。社長が亡くなるまでについに100点を取る事は出来なかった。

(社長自身も自分で焼いたパンで100点は無いと言っていたけども)

 

ここでの仕事は単調作業が延々と続くルーティンワーク。労働時間や休憩時間、休日が常にハッキリ決まっている事が唯一の救い。空き時間も毎日ハッキリとしているので、仕事や作業の効率を極限まで高め、当時のスタッフ全員で製パンの研究に没頭した。そして、仕事以外は遊びに没頭した。一つの事を掘り進めたおかげで、他の技術も自然と身に付きメリハリのある労働環境は今考えると心のゆとりがあった。

 

今のお仕事と似ている。

 

何かの折に食パンを見て当時を振り返ると、スタートラインで割と理想の働き方をしていたんだなーと思い、楽しんでお仕事していた当時を思い出した。

 

これが本当の伝説の食パン。