食べたい物を、自分で調理して食べる事が出来無くなる、もしくは身体の機能が老化で低下し、自力で食べる事が出来なくなった時は速やかにこの世を去りたい。笑。
これは、平均寿命が伸びることは良い事なのか?見たいなコメンテーターのそれぞれの意見を聞いて、自分は..?と考えた時に、真っ先に頭に浮かんだ事。
祖母は病気してから、1年ほど意識が無い状態で寝たきり状態、それを見守る祖父。
祖父は、祖母の死後、痴呆となり父が自宅で面倒を見ていた。
やがて祖父もこの世を去り、私の母は脳卒中で倒れ、やはり1年以上植物人間状態、そんな母を見守る父。
母の死後、父は半年も経たずにこの世を去った。
元嫁の父、叔父、私の叔母も病気と闘いながらこの世を去った。約12年ほど前がラッシュだったなぁ。😅
介護職員時代は、半強制的に何やら装置を着けられて、本人の意思が分からないまま生き長らえている人達の様子を見てきた。
そんな状況を目の当たりにしてして来たのでって事も有るのだろうけど。
なんか人に迷惑かけたく無いので、前述したようになったら、さっさと去りたいなと。
番組で、一通りの立場の意見を聞いて、良いか?悪いか?を議論する事自体がナンセンスと言う意見があり、これには深く納得。
そう、選ぶ自由、考える自由がある程、この国は豊かだ。^_^
皆んなそれぞれで良いと思う。
最近、終活なんて言葉も良く聞く。
死ぬ準備っすね。←身もふたもない
身内がバッタバッタと倒れて来たので、面倒な事は大体把握している。
各種手続き、死んだら墓はどうのこうの...
中でも特に、荷物の処分がね。😭
死んだら殆どゴミだ。
これが一番しんどいかも。色んな意味で。
個人的には、自然の摂理には逆らっては行けないのかな?と何となく思う。
病気になったら、その現状を速やかに受け入れ、流れに身を任せ、無理に延命しないと思う。
ただし、私以外、世の中の殆どの人は家族がいる。周りの意見にも左右されるよね。
本人が死にたくても家族が許さない。
本人の意思とは関係なく状況が動く。😓
介護時代「看取り」の方がいた。
家族の許可を得て、最後はこの施設で迎える事が決定している100歳を超えたお婆さん。
自力で起き上がることはおろか、食事も排泄も当然の様に出来ない。
寝返りも出来ないし、身体を動かす事も不可能。ただ寝ているだけ。
ご家族は、苦労して育ててもらったせめてものお礼にと、毎日の様に昼食を食べさせに来所していた。
夜勤の時、「看取り」の方の観察は特に要注意で、些細な変化も見逃せないと必死で介護、観察を続けていた。
そんな婆さんは夜中になると、♪ポッポッポーと突然歌い出し、時折、悲鳴だか、歓喜の声だか判断のつかない奇声を発する。
童心に還っているのかな?夢を見ているのかな?何かを訴えているのかな?
部屋を訪問して問いかけるも答えは返ってこない。返ってくるのは、遠くを見つめた虚ろな眼差しと寂しげな表情だけ。
これで良いのか?
その方と、そのご家族の答えは、私の中では見つからなかったのだけども、自分の中で、長生きはしなくて良い、と言う結論は出た。
いつもの豊川稲荷にて。