さて、北海道は大荒れ。あの時群馬の爺ちゃんに出会ってなければ確実に大雨の旭川に向かっていた。大荒れとは言え一番雨が少ない地方で一安心。 ここ網走は雨量は少ないが6日までは悪天候が続く、なのでこのまま網走に連泊しようと決めたのであった。網走観光ホテルは網走湖畔にある。定番の網走監獄やオホーツク流氷館、市街地も近いらしい。←アプリで適当に決めた宿
これはタクシー移動で観光やな!
という事でさっそくフロントに手配してまずは網走監獄博物館へと向かう。
さっそく立派で綺麗な建物と看守が出迎えてくれる。北海道史はほぼ無知な私。←その他も無知な人
映画で知った開拓史とかアイヌ民族の歴史は興味があるが掘り込んだ事がない。北海道を走っていて、いつ、誰が、どのようにしてこの広大な土地を開拓したんだろ?あまりのスケールのデカさにそう思う事が多かったので良い機会となった。
広大な敷地内にあるいろんな建物。小雨が何とも良い雰囲気を醸し出している。緑や北海道特有の小さな花、植物を見るだけでも楽しめる。
まずは庁舎にて開拓使の概要を知る。
明治の初め自由民権運動が台頭し国事犯が激増。国内の監獄はパンパンになった。政府はこの状況を解決する為、1881年懲役12年以上の者を拘禁する大規模監獄(集治監)を北海道に作った。同時にロシアの侵攻から北の守りを固める屯田兵村を設置するにあたって中央道路の開削を決める。この開削を行ったのが網走を初めとする北海道の囚人達です。
どうせ囚人、過酷な未開の地での労働で命を無くしても政府にとっては好都合だと、とあるお偉いさんの一言で始まった道路建設。
刑務所内で悪さしたらこの独居房へ。
監視付きの入浴風景に
、
野外作業時の部屋。
驚いたのは、網走監獄は自給自足が原則だと言う事。
あの広大な土地を人の手で...😳
味噌や醤油、漬物なども大量に生産し全国の監獄にも配られていた模様。すげ〜。
伐採して大きな岩などの障害物は爆破し整地して道路を作る。それら全て人の手。嵐の日も雨の日も、後半は昼夜を問わず働き続け多数の者が命を落とした。
「悪い事したんだから」と言ったらそれまでだけど
この人達の労働による中央道路が後の開拓の礎になっているのは事実だ。
こうして私がのほほんと北海道ツーリングを楽しんでいるのも、北海道の人達の生活があるのも元は囚人たちによる想像を絶する過酷な労働の結果だ。その人達は今の北海道を知らないんだよね。なんか複雑...
重要文化財の5棟が放射状に広がる有名な舎房の一画。
当時の暖房と
各部屋はこんな感じ。
やはり重要文化財。神聖な場所だからと大切に建設された教誨堂。
どこも立派な建物なんだよね。時が経つのを忘れて見入ってしまいます。
そして網走監獄へ行くのに必ず渡る鏡橋。
「流れる清流を鏡とし 我が身を見つめ
自ら襟を正し 目的の岸に渡るべし」
はい、はーーーい!🖐🏻←軽い😂
その橋の下に咲く蓮の花がとても綺麗で
何とも清々しい気持ちになりました。
(きよきよしいじゃない)
仏教やヒンドゥー教とも密接な関わり合いを持つ蓮の花。
他にも書ききれない看守や囚人、設備のエピソード。大変見応えのある博物館でした。
続く...