boulangerieの暇つぶし

元パン屋で都内タクドラの雑記。パン、料理(自炊)、音楽、映画、インテリア、酒、車、旅行...元嫁と質素で楽しい暮らし。

春日市と大野城市にあった米軍基地の思い出

男性には古来から引き継がれてきた狩猟本能というDNAがあり、闘争心や3D空間での射撃(お祭りの射的とかエアガンとか)に惹かれるものがあると聞いた事がある。

その為か小学生の頃は、戦争の悲惨な現実よりも兵器の持つ一方的な魅力にひかれてプラモ作りやエアガン入手が楽しい時期があった。今考えると兄弟や親戚が自衛隊関係というのもあり加えて私が通っていた小中学のすぐ隣には米軍基地があった事も起因しているかもと思う。←福岡県大野城市春日市

 

今となっては知る人も少ないだろうが、その大野城市春日市を跨ぐ米軍基地で開催されいてたお祭りはちょっとした外国気分を味わえる特別なもので、幼心に外国文化と日本文化の大きな違いを体感した貴重な日々。当時は地元民に「ベース」と言われていたそんな基地は今のJRを境界線としてJR白木原駅裏、春日公園春日市役所、春日高校一帯に広がっていた。

 

春日市の米軍基地

終戦して無条件降伏後の日本、米軍の進駐が始まると福岡にも米軍関連施設が次々に建設された。春日市と隣町である雑餉隈(ざっしょのくま)にはもともと日本軍関連施設があり、近接されるような形で米兵の居住区も建設された模様。

basehouse.jp

ここで当時の春日原駅前や白木原駅前の様子を見る事が出来ます。

 

 

今振り返るとちょっと信じられないような環境なのですが、そのベースと通っていた小学校と中学校との境界線は鉄条網のみ。運動場の端っこからは基地内に居住するアメリカ人の一般居住スペースがいつも丸見えだった。しかし時が経つにつれその居住スペースは次第に廃墟化、たまにジープに乗った見回りが来るだけのゴーストタウン化したベースは小中学生の時までは最高の遊び場だった。左右対象で同じデザインの2階建戸建てが並ぶゴーストタウン。白と緑で統一された住宅に侵入しては日本家屋との違いに驚きながらも「侵入」&「潜伏」のスリリングな体験を楽しんでいた。たまにジープの音が聞こえると慌てて隠れて二階の窓から下を覗き込むあの感じは良い思い出だ。

 

ちなみに基地があると言っても居住区中心、軍関係の飛行機は小型の訓練機は頻繁に見かけるものの、その他ヘリや大型の輸送機などは滅多に見る事は無かった。

ただし、当時の大野城市は(今でも?)日本の中でも街へのアクセスが良いと有名な板付空港(現在の福岡空港)へ着陸する旅客機の飛行ルートだったので、毎日至近距離で飛行機を真下から眺める事が日常、その度に凄い騒音で肝心な時にテレビの音が聞こえない、授業中の一時中断も日常だった。その代わり、周辺一帯の家やマンションはある時期一斉に無料で防音窓、エアコン設置が行われた記憶があるな〜。

 

そんなベースが退去して一斉に始まった都市開発と緑地化。その過程においても深夜の広大な無法地帯の土地は魅力的で、廃墟&開発途中の荒野は秘密基地作りにおいては最高の遊び場所だった。大木の周囲に廃材を用いてまずは雨露を凌げる環境を作る。そして窓枠やドアなどを拾ってきては家らしく仕上げて行く過程はとても楽しく、皆一国一城の主人気分だったな。笑

 

現在の大野城市春日市は福岡市の都心まで電車で20分程度のベッドタウン、周囲の山は全て宅地化され主要道路は渋滞必須の箇所でもある。

 昔は米軍基地と田んぼと山しか無かったと言う事実はさほど昔の話では無いのだけども、当時住んでいた家の目の前には沼があり(上大利)、道路も舗装されていない箇所の方が多かった。

 

日本全国どの土地にも似たような事例は多いだろうけど、何となく思い出したので記しておこうと思いました。