boulangerieの暇つぶし

所持金ゼロから元パン屋が上京して再び出店するまでの日々雑感。倒産、離婚、全てリセット、初めての転職、二度目の転職、関東に移住←今ココ

格闘技❹

完結していないまま放置状態であったこのシリーズ。

 

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 あまりにも長く途中で何が言いたいのか分からなくなった←アホw

のだけど、先日見た前田日明氏と藤波辰爾選手との対談を見て思い出したので続きを書く事に。

 

 

また忘れぬうちに先に書いておくが

 

結論

 

日本のプロレスラーは最強であり、今日の格闘技ブームの先駆者である。

 

これが言いたかったが為のシリーズなのです。

 

さて、❸までは現在世界を席巻している格闘技の技術体系の基本は日本の柔道発祥であり、その柔道界にはとてつもない怪物がいた事、それがやがてプロレスと結び付いて行く直前までを書いた。

 

その日本の後にも先にも世界最強の選手の名は熊本出身、講道館の柔道家木村政彦氏。

前田光世が伝えた柔道から発展したブラジリアン柔術は後に日本の名だたる格闘家を撃破する事になるのだが、そのヒクソンやホイスの父であるエリオ・グレイシーを簡単に破ってしまったのも木村政彦氏だ。

 

決着は「参った」か「締め落とす事」でのみ成立、木村氏は相手との体格差から3分もったら相手の勝ちで良いよと言うほど余裕で臨んだ試合で、一方相手のエリオは棺桶まで用意して臨んだ決死の試合だった。もっとも木村氏は日頃から「負けたら腹を切る」と試合前は切腹の練習から入っていたらしいけど。

2Rで木村は得意の大外刈りから腕がらみ(アームロックの一種)で腕を折るも相手はギブアップをしない、止むを得ず折ったままの腕に更に力を加える事になるのだが、それでもギブアップしなかったエリオを見兼ねてセコンドが試合を止めて勝敗が決まった。後に木村は腕を折られ骨を砕かれても心が折れないエリオに最大の敬意を払っている。

相手の腕を躊躇なく折る方の精神力も異次元だが、折られた方もまた異次元の世界。

 

今日では到底有り得ないような極限の状態で切磋琢磨し、命を掛けて技を磨いていた当時の格闘家達。その最強の木村氏がプロレスに転向して力道山に負け戦を挑んだ試合は今でも最大の謎として扱われている。当時は特に興行としての色合いが強かった事から真相は何となく想像できるのだけだも、相撲をバックボーンに持つ力道山も木村氏も共に強かった事に変わりは無い。

 

プロレスの世界に上がるためにはまず本物の強さを身に付ける事が絶対条件なのだ。

 

後に力道山の弟子となるジャイアント馬場アントニオ猪木力道山本人の師匠となったのはドイツ出身のカール・ゴッチ氏。日本のプロレスと海外のプロレスとの橋渡し&コーチ役&選手としても有名なのだけども彼もまた、古代から伝わる様々な格闘技術体系を研究し尽くして上り詰めたレスリングをバックボーンに持つプロレスラーの一人だった。本物の果し合いを超えたところでの興行。これが素人目から見ると怪しく映る一つの要員なのだけども、普通の選手は目の前の試合で精一杯となる所が、プロレスラーはその試合に「魅せる」と言うエンタメの要素をその場で加える事が出来る人達。そんな事が出来るのも、普段から本物の格闘技を極めていて更に強靭な肉体があるからと言える。

 

アントニオ猪木の弟子としては藤波辰爾選手、前田日明選手が有名だけど、猪木が唱えた「猪木イズム」=ストロングスタイルは、カールゴッチ譲りの(関節技)リアリズムと力道山譲りの喧嘩殺法の融合で魅せるスタイル。藤浪氏は独自に解釈しプロレス界に女性客を呼び、前田氏は更に昇華させ今日の格闘技界の礎を築いた。

 

そんな貴重なお話があった今の時代だからこそ見れる対談。

 

藤浪氏はこの対談の中で、17歳の時アントニオ猪木にアフリカに置き去りにされたとか←1週間かけて自力で日本に戻ったらしいw

カールゴッチに暑いから泳げ!と言われて飛び込んだ湖がワニだらけだったとか無茶苦茶なエピソードが満載なのだけども、いずれも強靭な肉体と精神の裏付けだな。笑