能登半島を回る前に見ていた映画「楢山節考」。(13日WOWOWにて)
序盤の20分で現在の民放では再放送不可だろうなと思った。
その理由とは
・当時人が普通に売り買いされていた
・顔に傷のある女性が山で強姦気味に...←女性はそれほど嫌がっていないけども
・第一おばあちゃんを山に捨てると言う事実
・水子がその辺に捨てられているけど当時は大ごとでは無い現実
・濃厚過ぎる生活臭←立ちションとか風呂に入らないのでやたらと臭&汚い描写とかw
・結婚相手は選べない
などなど。
しかしこれがまだインフラが整っておらず&ほとんど外界との接触が無く、そこで産まれたらそこで完結するしかない人生の現実であって生き抜く為の生活の知恵でもあったりする訳で、インフラが整う事によって人々の行き交いや移動が物心ついた時からそれが普通になってしまっている現代社会においては決して認めたく無い事実であったりします。←現実でんがな
そんな閉ざされた集落の生活は先日の白川郷にて実際目の当たりにしたばかりなのだけども、そこでもやはり濃過ぎる相互扶助が当然でして、それは現代社会では誰しもが「無しだな」と思えるほど密接な近隣との関わり合い。←想像以上に濃厚でっせ
一方でそんな相互扶助とはまるで反対語になるような「競争の社会」&「自由経済」によって実際に発展してきた現代文明&化学&科学技術。そのおかげでと結果、人生百年時代を迎えた今、不労所得、早期退職、田舎の生活など、いかに楽して楽しむかと言った記事が乱立しているSNS界隈。
年金で普通に暮らしていけるのは果たしてどちらの成果であるのだろうか?
(答え言ってない?w)
白川郷の「結」に表現される今では考えられない近隣との濃厚で密接な隣人(他人)との関係は、確かに「助け合い」や「人との絆や繋がり」を改めて考えさせてくれる物でもあるのだけども、現代社会の恩恵を既にたっぷりと享受している私にとってはもはやどちらが正しいのかは現時点では分からない。となれば、障害者支援&地域社会への貢献に奔走した過去は単なる偽善か?自己満足か?となる訳で、現在老後をなんなく生活している人などの大部分は案外何も分かっちゃいないのかな?とも思えてしまう。←共産主義VS資本主義見たいな構図だな
特に私などは
時代の真ん中をゆるりと&上手に生きる事が欠かせないと思っていて、過去の現実もしっかりと受け入れつつも時に質素で時に大胆にエンタメを味わうと言う
これほど優柔不断&自己都合なおっさんは他にいるだろうか?笑
過去も未来も全てのご縁も唐突にバッサリと切り捨てられるとこれが案外楽だったりする事実。
なんだかな〜。
と相変わらずいつもの薄い着地。笑
簡単で旨い!