boulangerieの暇つぶし

元パン屋で都内タクドラの雑記。パン、料理(自炊)、音楽、映画、インテリア、酒、車、旅行...元嫁と質素で楽しい暮らし。

危機克服: 障害年金との闘い

昨日記事を観たダニエル氏。

「オマエ、めっちゃ良いとこ連れて行ってるやろがー!w」って。 えぇえぇわかっていますとも。←いや、ホントにw  汚名(汚名!?)返上の反論記事(贅沢な旅)は、ダニエル氏が後日あげまーす。お楽しみに😀

 

さてね。

ワタシが年末から心に負担を抱えていた問題。 それは「障害年金申請」でした。 鹿児島の担当医は、仕事するのは無理だとずーと言い続けておりましたの。それまで、年金機構の傷病手当金を1年半、ハロワの失業保険を1年支給で、計2年半ニートで暮らしたのでつ。その期限が切れた時貯金もなかったし仕事するしかないと就職したんだけれど、担当医は生活保護受けてって言っておりました。仕事を辞めなさいって。その頃、障害年金の話をされていたけれど、それだけじゃ足りなくて生活できないからって仕事を頑張っておりました。そんな時、ダニエル氏のこっち来いコールを頂き、じゃあ障害年金申請しよう!と着手したのが去年の6月。年金事務所へ連絡して、書類一式を貰い、医師に専用の診断書をお願いして、ワタシは小倉時代に患ったので、当時の医師にも依頼。鹿児島の担当医は1週間ほどで書き上げてくれたけれども、小倉の医師が待てど暮らせど送ってこない。結局、ダニエル氏がクレーム入れてくれて1週間で届きました。己が記入する提出書類も揃えていたけれども面談の予約が取れず、こっちへ来て申請となりました。8月申請の予定が狂ったのです。仕方ねえ。こっち来て早々に年金事務所の予約を取り、書類一式を提出し必要なものを全部用意して、申請日は9月21日。

 

ココから、3ヶ月から5ヶ月かかるというネット情報で結果を待っていたのですが決定通知書が待っても待っても来ないんですの。それどころか、申請3ヶ月後に足りない書類がありましたって。は? てなりながら書いたんだけれど、その更に3ヶ月後書き直しがあります、て。その時点で4月。すでに7ヶ月経過です。おかしくない?って窓口には訴えたけれど、所詮窓口は組織の駒。だと思ってはいたのに怒りをぶつけました。それでも通知は来ない。8ヶ月放置状態に痺れを切らして、駒でしかない担当へ電話。接客中なので折り返します。待つ。来ない。それでズドーンと堕ちたのです。もう話したくもない。電話なんて何十回もかけないと繋がらないし、それに耐えうる精神力は皆無。ずっと経過を見ていたダニエル氏が見かねて、どうなってるんだ!?と電話してくれました。そしたらね。 昨日、通知が届きました。

 

これがまたさ、分かり辛い書類でダニエル氏とコレなに?ってずっと話しました。いい加減にしろ年金機構&厚生労働省。 結果は、こっちへ来るまでの遡り追求は不支給。こっちへ来てからは障害2級で決定、という書類ぽい。うん、ぽいの。わかり辛い書類だから。

 

なんかねー納得いかない。不支給理由の書類あったけれど、これで不支給決まるなら8ヶ月も音沙汰なく待たせた意味は何!? 最後の訂正書類で説明したよね!? 年金機構のそれ担当医師が合否出してるらしいから、せめて面談くらいしろよって思う。 精神障害は血液検査やレントゲンなんかで証明する明確なものとは違い判断基準がとても難しいからって窓口の駒が言っていたけれど、どうせお役所仕事なら簡潔な判断基準を設けて、それに則って早々に返答した方が良いよ。

 

ワタシの決定はちょい残念な結果なんだけれども、ダニエル氏が良い良いって言ってくれてるから救われています。弁護士さんにお願いして再審しようか迷っております。

 

当時。仕事、出来る状態ではなかったけれど、従業員と現場を優先しなければならなくて、休みたくても休めない、這ってでもいかなければいけない出勤だったのに、貴方は仕事が出来ていたからその頃の障害年金は認めませんって。

 

腹は立っているけれど、なーんにも音沙汰なく放置の憂鬱からは解消されました。待ってる間辛かったもの。 送ってきた証書もお粗末。 ワタシ、気管支炎で声出なくなってるので、明日ダニエル氏が問い合わせしてくれるそうです。

 

障害年金は最初から弁護士様任せが良いかもですよ。長々とぐちぐち、最後まで観てくださってありがとうございます。

 

 

アンジー